呉海軍工廠(こうしょう)の発展
呉海軍工廠(こうしょう)は、イギリスから導入した最新の技術を発展させ、海軍第一の製造所として世界有数の艦艇(かんてい)を建造していきました。
呉のまちはその技術を支える工員たちでにぎわいました。
呉で造られた艦(ふね)
扶桑(ふそう)
大正3(1914)年11月8日、呉海軍工廠で竣工(しゅんこう)した戦艦(せんかん)で、当時主砲(しゅほう)の大きさ、、速さとも世界一でした。「船の重さと速さ」について詳しく知りたい人はボタンを押してね!(説明のページに移動します)
長門(ながと)
大正9(1920)年11月25日、呉海軍工廠で竣工した戦艦で、当時世界最大の主砲を備えていました。「長門」の完成は、日本の造船技術が世界水準に達したことを意味しました。「長門」は、国民にも親しまれていた艦(ふね)なんだよ!
が始まると外国から兵器の注文があり、日本は艦を輸出するまでになりました。
このことは呉海軍工廠にとって大きな技術的自信となりました。
呉海軍工廠でたくさん働いていたのがわかるワ~!
関連する展示物の紹介
呉海軍工廠にまつわる品々
「保健の栞(しおり)」は、働く工員の健康管理をするためのファイルです。アルミ製弁当箱には、 「呉海軍工廠」の刻印が入っています。工員さん、毎日忙しかったんだろうな~!