戦艦「大和」は、どんな艦(ふね)だったのでしょうか?みなさんの疑問にお答えします。
⚓戦艦「大和」はどこでつくられたの?
戦艦「大和」は広島県呉(くれ)市でつくられた軍艦(ぐんかん)です。
広島県呉市には海軍工廠(こうしょう)があったんだ。
海軍工廠(こうしょう)とは、艦(ふね)や兵器、飛行機などをつくる海軍の工場のこと。数ある工廠の中でも、呉海軍工廠は日本でトップレベルの技術力をもっていました。
みんなは呉市がどんな町か、知ってる?
瀬戸内海(せとないかい)に面する陸地部と、倉橋島や安芸灘(あきなだ)諸島などの島しょ部で構成される気候温和な、自然環境(かんきょう)にめぐまれた都市です。
大和ミュージアムから、戦艦「大和」をつくった場所が見えるよ!
今でものこっているんだね!
⚓戦艦「大和」の名前の由来(ゆらい)は?
名前の由来は、旧国名「大和国(やまとのくに)」です。その他の艦艇(かんてい)も山や川の名前、植物や鳥の名前など、艦(ふね)の種類によって名前の付け方が決まっていました。
巡洋艦(じゅんようかん)「最上(もがみ)」は、山形県に流れる「最上川」から、その名がとられました。
ほかの艦艇(かんてい)の名前についても知りたいなあ!
⚓戦艦「大和」の一生を教えてください
昭和16(1941)年12月16日に完成した「大和」は、第二次世界大戦の各海戦(かいせん)で戦い、昭和20(1945)年4月7日、沖縄へ向かっている途中(とちゅう)、アメリカ海軍の飛行機による攻撃(こうげき)で沈没(ちんぼつ)しました。
⚓現在、戦艦「大和」はどのようになっているのですか?
九州の南西沖、約350メートルの海底にねむっています。
平成28(2016)年、呉市による潜水調査が行われました。この調査によって、「大和」の位置が正確にわかり、現状を高解像度で撮影(さつえい)し、主要部は計測しました。
大和ミュージアムには、海底の「大和」から引きあげられた品々が展示されています。