呉で造られた艦(ふね)
呉海軍工廠(こうしょう)では、国産の軍艦(ぐんかん)が次々と誕生しました。
どんな艦(ふね)が造られていたの?
いくつか見てみよう!
伊吹(いぶき)
明治42(1909)年1月に呉海軍工廠で竣工(しゅんこう)した艦です。材料まですべて国産製品を使用しました。これは軍艦としては初めてのことで、日本の艦を造る歴史の中でもとても重要なことです。摂津(せっつ)
明治45(1912)年7月に呉海軍工廠で竣工した戦艦(せんかん)で、2種類の主砲(しゅほう)を備えていました。しかしそのスタイルはすでに時代おくれのものとなっていました。⚓ふねの種類:戦艦(せんかん)
戦艦は海上戦力の中心となる艦です。主砲によると敵のから守るをあわせもっていました。
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イギリスからの技術導入
このころ、世界では軍艦をつくる競争が始まっていました。
この競争におくれをとっていた日本は、技術を再勉強することにします。
巡洋戦艦「金剛(こんごう)」は、技術導入のためイギリスから購入した艦です。
艦や設計図を買うだけではなく艦を造る技術者などがイギリスに出張し、技術を習得しました。
金剛(こんごう)
日本が技術導入のために外国に発注した最後の。イギリスの「ヴィッカーズ社」で大正2(1913)年8月に巡洋戦艦(じゅんようせんかん)として竣工しました。もう一度、技術を学び直すことにしたんだね。
⚓ふねの種類:巡洋戦艦(じゅんようせんかん)
巡洋戦艦は、戦艦と比べるとその攻撃力・防御力はやや弱いものの、速さでは負けません。一方時代が進むと、戦艦も速く走ることができるようになり、特に巡洋戦艦と分類することはなくなりました。
関連する展示物の紹介
ヤーロー式ボイラー
イギリスの「ヤーロー社」が開発したヤーロー式は、20世紀初頭の世界の代表的な艦艇(かんてい)用ボイラーです。重油と石炭を燃やすことで動力を得るもので、巡洋戦艦 「金剛」はこのヤーロー式ボイラーを36基のせていました。大和ミュージアムに展示しているヤーロー式ボイラーは戦後、科学技術庁(現・文部科学省)で平成5年まで使われていたんじゃよ!
へえ!興味深いね。