
呉軍港(ぐんこう)の発展
今回は、呉市が誕生したところから見てみましょう!
明治35(1902)年、呉鎮守府(くれちんじゅふ)や呉海軍工廠(こうしょう)をもつ呉の発展をめざし4町村が一つとなり「呉市」が誕生しました。
明治36(1903)年には呉線(鉄道)が開通し、明治42(1909)年には市街電車が開通しました。
 明治441911年10月5日呉鎮守府検閲済 〈田平嘉夫提供〉-644x441.jpg)
とても便利になったんだね~!
呉市の人口は増加し、学校や病院など暮らしの設備がより一層整えられていきます。
明治43(1910)年には呉の人口は10万人を超えました。
町中には商店街が形成され、呉は市街地として栄えていきます。
 昭和13~141938-39年 〈佐久間一郎提供〉-1-644x453.jpg)
水兵さんが歩いているよ!まさに「海軍のまち」だね!
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市街電車の模型
明治42(1909)年10月31日の開通当日、呉を走る市街電車の姿を再現した模型です。呉の市街電車は広島市より3年も早く、広島県内で一番に開通しましたが、昭和42(1967)年にその役割を終え、今は走っていません。