平和産業港湾都市へ
朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)により呉市の経済も回復し、失業問題も改善されたとはいえ、それは根本的な解決とはなりませんでした。
平和産業港湾都市(へいわさんぎょうこうわんとし)として出発するためには、進出した企業(きぎょう)がしっかり活動し、また新しい企業に来てもらうことが重要でした。
呉には、呉海軍工廠(くれかいぐんこうしょう)がのこした、技術・施設(しせつ)・人材があり、これに着目した企業が、呉市に相次いで進出してくるようになりました。
造船や製鉄を中心とした企業(きぎょう)が進出したんだ!
そして昭和27(1952)年には、世界最大のタンカー「ペトロ・クレ」が建造されました。「ペトロ・クレ」は、かつて戦艦(せんかん)「大和(やまと)」を建造したドックでつくられた船です。
 昭和271952年 〈NBC呉造船部提供〉-644x475.jpg)

連合国軍(れんごうこくぐん)の撤退(てったい)
昭和31(1956)年、連合国軍の撤退式が行われました。
返還(へんかん)された多くの施設は、海上自衛隊(かいじょうじえいたい)や企業用地として使用されることになりました。
同年10月、呉市は近隣(きんりん)の町村と合併(がっぺい)し、新しい市域(しいき)を形成しています。

もともと海軍の建物だったの?
そう!呉鎮守府(ちんじゅふ)の建物を海上自衛隊が使っているんだよ!
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