戦艦「大和」の戦い

戦艦(せんかん)「大和(やまと)」は、昭和16年12月16日に竣工(しゅんこう)しました。

これは中のことで、日本は連合国軍(アメリカやイギリスなど)と戦っていました。

竣工後、「大和」はとなり、各に参加しました。

一方、戦争の状況は悪くなっていき、「大和」の最後のは、特攻(とっこう)作戦(さくせん)でした。

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用語解説

特攻(とっこう)とは、特別攻撃(とくべつこうげき)のことです。戦争が終わる1年ほど前から始まった特攻作戦は、目標に体当たりする攻撃で、多くの若い隊員が戦死しました。

戦艦「大和」はアメリカ軍が上陸した沖縄県に向け出撃をしました。

しかし、アメリカ軍のによる激しい攻撃(こうげき)により、沖縄にたどり着くことなく沈んでしまいました。

3,332名の乗組員がいましたが、3,056名もの方が戦死しました。

大和ミュージアムでは、奇跡的に生還された乗組員の証言映像が放映されているよ!

とても貴重な証言だね。

戦艦「大和」の現在

「大和」は現在、鹿児島沖の海底約350メートルに沈んでいます。

平成28(2016)年5月、呉市は潜水調査(せんすいちょうさ)を実施しました。

この調査によって現在の「大和」の正確な位置がわかり、主な部分については計測も行われました。

大和ミュージアムでは、潜水調査の映像を見ることができるんだ。

一部インターネットでも公開しているよ。左の画像をクリックしてみてね!

関連する展示物の紹介

乗組員のお手紙

戦艦「大和」乗組員の方々がご家族にあてて書かれた手紙や遺書(いしょ)です。近況(きんきょう)の報告とともに、家族をいたわる気持ちがつづられています。